Siesta日和 ---シエスタビヨリ---

日仏家族。フランスを離れて世界半周旅行中。ポリネシアまでやってきました。

再会

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竹子先輩との再会。

娘 Ninaは竹子さんが大〜好き!

 

グレナダのカリアク島で出会ってから1年半。

その後、グレナダ島、キュラソー島(クラサウ)、コロンビアのカルタヘナで楽しい時間を共有させていただいていました。

 

時期がずれてパナマでは再会はできませんでしたが、ポリネシアでまた会えるのを楽しみにしておりました。

 

そして予定よりも早い再会…。

いつも一緒だったパートナーのフェントンは、今回はいません。

 

イースターホリデーのある日、フェントンの娘さんからニコラ宛にメッセージが届きました。

フェントンと竹子さんが目指すマルキーズ(マルケサス)のヌクヒバの手前200kmくらいの所で、フェントンが亡くなったこと。竹子さんが船の中に1人であること。どなたか日本語で彼女をフォローできる方がいるかどうか…という内容でした。

 

そこで、マルキーズに長くお住まいだった日本人のお友達(Mさん)に相談しました。そうしたら、マルキーズには日本人はいない、と。😭

 

ニコラはニコラで、救助に向かっているのか確認したく、現地の警察に電話するけれど、所詮は一般人。オフィスは閉まっている状態。

 

そんな中、Mさんの友人がマルキーズで海上保安部にお勤めの方がいて、時間を追って詳しく状況説明をしてくれたのでした。

 

メキシコからポリネシアを目指していたフェントンの船、Pateke。

太平洋横断中は、いい風や天候に恵まれて、順調に進んでいたそうです。

お亡くなりになられる2日ほど前から体調を崩していたフェントン。ヌクヒバへ着いたら病院へ行こうと言っていたのだそうです。

そして、万が一の時のために、竹子さんにどこへ連絡するかノートに記入するようにしていたとのこと。

 

夜の交代の時に、仮眠から起きた竹子さんはフェントンが床に倒れているのを発見。

もうその時には顔色も変わっていて、手遅れだったようです。

以前から心配していた 心臓発作でした。

目的地のヌクヒバの手前、200kmでした。

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フェントンの指示通りに、救助を求め、救助隊が来るまで、竹子さんはお一人で舵を取りなんとか目的地へ向かうように操縦を続け、大きなセールも手動で1人で下ろしたと言います。

 

長い夜。

竹子さんにとっても、救助隊の人にとっても、間に入って通訳してくれたMさんにとっても、長い夜でした。

フェントンと竹子さんを無事に保護し、高速船でヌクヒバまで。

真っ暗な荒れる夜の海で、他の船に乗り換える事を想像するだけで、大変な作業だったと想像します。

 

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太平洋横断を目指す誰もが憧れるマルキーズ ヌクヒバ 。

ここにフェントンと一緒に来れなかったのは残念で、なによりも旅の想い出を一緒に語れる人が居なくなったのがとても淋しいと竹子さんはおっしゃいます。

 

この悲しみを、ポリネシア人の優しさで少しずつ癒されていくことを願うばかりです。

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竹子さんには、ちょっとの間、私たちと一緒にSiestaのクルーになっていただいて、楽しい時間を共有し、10年以上続いた船の旅を笑顔で締めくくっていただこうと思います。

 

そして、再会が叶わなかったフェントン。

ご冥福をお祈りします。

 

あと2日あったら…

ヌクヒバまで到着していたのに…

全てが変わったかもしれないのに…。

悔やまれます。

 

主を失ったPatekeは、後日、ニュージーランドへと向かいます。

 

最後に、竹子さんの通訳をしてくださり、常に的確な情報をくださったMさんに心から感謝します。

今回はフランス語、英語、日本語の複雑な環境で大変でしたが、Mさんのお陰でなんとかPatekeのことも解決できそうです。

Mさん、どうもありがとうございました。